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「今の若いものは」ということばを言葉を考えてみる

最近フェイスブックへの書き込みの方が多くて、このブログがおろそかになっています。

今日はiPadで試しに今思うことを書いてみます。

「今の若いものは」
私は、この歳になりこの言葉をしばしば聞くようになりました。

私もそれなりに年齢を深め、30歳で社長になり、23年目を迎えることになりました。大学を卒業して、社会人になり、最初に勤めた会社は製薬会社でした。半年の研修期間を経て、鹿児島へ赴任し多くの体験をさせていただきました。今考えてみますと、かなり横着で、不遜な態度を取りながら仕事をしていたと思います。私の年代は当時「新人類」と呼ばれ、よく「今の若いものは」と言われたものです。

それが、20数年経って、まわりの私の同年代の仲間から「今の若いものは」ということばがしばしば聞かれるようになりました。言われる方から言う方にいつの間にかなっています。

私はこの「今の若いもの」という言葉に、世代間から生じるギャップを受け入れきれない中年以降の大人たちのを度量の程度を感じます。生きてきた時代背景は世代によって異なるわけですから、違って当たり前のはずです。それなのに、自分が生きてきた過去を基準にして、それを正当化して、現代に生きる若者を判断しようとしている感じがします。

我々は、概していままでの体験の積み重ねから得た経験知を大切にしようとします。しかしそれにとらわれすぎると、それが固定観念、既成概念につながり、違うバックグランドを持った、特に職場での年代の若い世代の人たちを自分が勝手に作った観念で評価しようとします。

中年以降の年代の先輩側の我々が、そう言うものの見方、考え方をしているよねと気づくと世代間ギャップを埋める何かが生まれてくるのかもしれません。

人は皆、人それぞれであり、どの年代もいろんな人がいました。自己主張できない人もいれば、自分をありのままに表現できる人もいる。明るい人もいれば、そうでない人もいる。どの年代も一緒です。「最近の若い人は引っ込み思案な人が多いよね」「俺たちの時代はさぁ〜」という声がよく聞こえますが、どの時代でもいろんな人が存在します。ただ時代によって我々は時代に合わせて生きていき、ある傾向が生まれます。それはその時代に生まれた人たちの問題ではなく、時代そのものの傾向、つまり時代背景の問題だということです。

例えば、これだけ社会が成熟し、街にモノが溢れると所有欲求が衰えるのは、人の問題ではなく、時代そのものが生み出した問題ではないかと感じます。「今の若いもんは欲がないよね〜」ではなく、そういう人もいるし、欲だらけの人もいます。どの時代でも一緒。

おそらく、「今の若いものは」という言葉は、江戸時代から、いや縄文時代から言われてきたのかもしれませんね(笑)

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