» 2016 » 6月のブログ記事

強い意思を明確にして、リーダーシップを振り回しても決して上手くいきません。傲慢な態度になりやすく、「オレの言うことを聞け!」という態度になりやすいです。

同じ思いを共有化させて頑張っている人だけでなく、同じ思いでやろうとしている人たちや、まだまだ重い腰が上げられないで迷っている人たちにも承認の手を差し伸べてやることです。

人は幸せになりたいと最初に書きました。充実感や達成感、自己重要感を感じることで人は幸せを「自分で」感じることができるのです。それには、「まわりからの承認」というエッセンスを加えてあげると、より充実感などを実感できるのが人間です。

人は一人では生きていけません。人は人によってその存在を感じるから生き続けることができる生き物なのです。孤独感を感じると人間は生きる気力が失われていきます。リーダシップを発揮させることが目的ではなく、充実した人生をみんなで実感し、幸せを共に感じていこうと言うのが目的です。

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リーダーシップを取る人の中には、リーダーシップを取ることは自分で決められても、他人を承認することには勇気が持てない。「人を褒めること」に勇気が持てない、決められない人も存在します。いろいろ原因があると考えられますが、幼い時に親から褒められた経験が少ない人に多いと感じられます。ここに勇気を持つことができるようになると、人の良いところを見ようとします。そしてそのことを人に伝えてあげると、人は「自分のことをしっかり見ている」と自分の存在を認めてくれていると感じます。

また、周りの人が気づかないような、ほんのちょっとの良い変化に気づき、気づいたことを言ってあげるだけでも、その人は嬉しい気持ちになります。そしてそのプラスの感情が「つぎもやってみよう」という行動意欲につながってくるのです。

パート1からパート5にわたり、たくさん書きましたが、我が社では自分で決めて自分で行動するリーダーシップ、自立型社員をつくり、お互いが認め合う社風をつくることにより、社員・スタッフのみなさんが充実した人生を味わい、しあわせ感をより多く感じてもらえる時間をたくさん創ってもらえるような会社にすることが、我が社の「協働共育」です。

ありがとう経営

我が社は、働くスタッフのみなさんがいつも充実した毎日を過ごせるように、まずは自分のものの見方・考え方をより幸せを感じる方向へ、つまり健全な価値観を養っていこうと人財の育成を行っております。そのために必要な能力を磨くこと。それがリーダーシップです。
リーダーシップは誰でも、どんな立場の人でも取ることができます。それが「まず決める」ということです。主体性を磨くということは、自分の意思を明確にすることです。決めるということが曖昧になると、目標意識が薄くなり、仕事の達成度が低くなったり、コミュニケーションの質が落ちたりします。
あいまいにすることがうまくコミュニケーションを取る秘訣だと勘違いしている人もいます。企業においてはそれは「慣れ合い」を創ります。あえて言えば、「あいまいにすることも決める」ことをやればOKです。

「決める」ことは勇気が必要です。ここが最大のポイントです。

リーダーがある方向へ進むことへ決めると、反対意見が必ず出てきます。マイナスの感情をぶつけてくる人もいます。人が持っている「できるならやりたくない」という自己防衛本能をむき出す人も出てきます。これに直面することを避けようとして、せっかくやろうと旗を振ったのに、だんだんやらなくなることはたくさんあります。

「我が社では決めたことがなかなか守られない」

よくあるケースです。多くはやろうとすることに抵抗する社員のマイナス感情をしっかり受け止める決意と勇気がなく、次第と自分の意思もフェードアウトしてしまうケースです。
人のマイナス感情のパワーはとても強いことを誰もが知っています。本能から湧き出てくるものだからです。そこに向き合うには、もっと良くなりたいという自分の思いの強さから生まれる「意思の強さ」だと感じます。これが磨かれると組織は活性化します。

意思の強さは「決める」行動を明らかにします。

ところが、これだけでは上手くいきません。意思の強さを全面に出す人もたくさんいます。言われなくてもしっかりとできる人もいます。つぎは「リーダーシップの質を高めること」が大事になります。一緒についてこようとする人や、やろうとしているんだけどもまだ迷っている人たちに対して、「承認する」ことができるかどうかでリーダーシップの質の高さが決まってきます。傲慢な人は「オレの言うことをきけ!」というようなリーダーシップになります。これはヘッドシップです。

我が社は「自分で決める」という自立型社員を創ることと同時に、「お互いを認め合う」社風を創ることがよりよい組織になることだと考え、「協働共育」という企業理念の元に、ありがとう経営を行っております。最後のパート5は認め合う社風について書きます。

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パート2まで、我々人間が持っている「能力」と「本能」について書いてみました。

パート3はリーダーシップです。改めて弊社の絵を御覧ください。

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自立型社員を創るには、弊社で何をやっているのか。

まず「決める」です。

他人からの指示命令だけで行動するのではなく、自分で決めて行動しようとしているかどうかです。これが意外と自分で決めて行動していない社員が弊社には少なくありません。上司や先輩、周りの人からの指示命令だけで動いている人がいます。何も考えずにただ言われた通りに動いている人もいます。それはそれで不満を感じない時は問題ないのかもしれませんが、指示命令がない時は自分で考えていませんので、とたんに動きが止まります。

これは弊社の仕事の性質にもあります。お客様からの依頼でガス配管や給排水設備のサービスを行います。殆どの行動がお客様の都合に合わせて行動しなければならない。しかも施工現場は常に動いていますので、こちらが主体的に仕事をすすめることができない典型的な下請け業務がほとんどなので、指示命令を基軸に行動するパターンが身についています。

しかしながら、そんな仕事でも指示命令で動いてばかりいると、ある感情が生まれます。「やらされ感情」です。

お客様からの直接的な要望に応えることは、とても大切なことです。しかしこの仕事のパターンが染み付いてしまうと、自分で組み立てて仕事をすることができなくなってしまっている自分自身に気がつかなくなります。ですので、会社をさらにより良くしていこうと上司が旗を振っても、部下は

「いつも私にやらせている」「なんで私がこれをやらないといけないのか」「仕事以外のことはやらない」

などという感情が湧いてきます。これが「やらされ感情」です。

一方、上司は会社のことを考え、企画して実行しようとしているのですから、やらされ感情は芽生えてきません。つまり何かをやろうとまず自分で考え、実行したならば「やらされ感情」は生まれてこないのです。上司は自分で考えたことをやろうと頑張っていますのですから、充実感もあり、うまくいけば達成感も感じることができ、自己重要感も満たされることでしょう。
一方部下は、自分で考えて行動していませんので、絶えず「できるならやりたくない」という人間の本能に縛られながらやり続けなければならない状況になります。たとえ目標をクリアしたとしても、達成感もなく、充実感というより疲労感があり、自己重要感もほとんど感じません。

ここで問題にしたいのが、自分の行動は自分で決めたかどうかです。

たとえ、きっかけが上司からの指示命令であったにせよ、自分でそれをプラスに解釈し、よし!やってみようと思えたかどうかで、その後の時間の過ごし方や感じ方は大きく違ってきます。ところが、言われたままのことを自分で考えもせずに従うことに慣れてしまっていると、やらされ感情が自分の中で増幅していき、いやいや仕事をやる状態になります。

さてパート4へ続きます。

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我が社の経営理念は「協働共育」です。

朝礼でキューハイテック経営コンセプトとして毎日唱和しております。内容は、「協働」とは、社員の皆さんが目標を共有し、ともに力を合わせて活動することであり、「共育」とは教える側も教えられる側も共に学ぶという姿勢のことです。キューハイテックは、社員の自発性・協調性・親密性を育み、お互いが成長し合う社風を大切にします。

なりたい組織像はこれです。

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自立型社員を創り、自立型企業をめざします。そのためにはお互いを認め合う社風づくりも必要です。

充実した毎日を過ごす。達成感を感じる仕事を行う。自分の存在価値が実感できる一日を創る。こんな毎日を送って欲しいと思います。
人間の幸せは「感じる」ものです。どんな感じ方をするのかは人それぞれですが、充実した毎日は過ごしたくないという人はあまりいません。日頃の充実感・達成感・自己重要感を感じてこそ、幸せだなぁと思えるのではないかと私は思います。

その「しあわせ感」は人から与えられるものではありません。自分で創りだすものです。
ところが、自分で創りだすものだと頭では理解できていても、なかなか行動出来ない人もいます。というか、人は誰しもそう言う側面を持っています。

なぜなら、我々人間は「もっと良くなりたい」というこの世の中で人間だけが持っている思いを持っていると同時に、「出来るならやりたくない」「やらずに済むならやらないほうがよい」という動物が持っている本能を併せ持っているからです。

もっと良くなりたいという思いは、この世の中の動物の中で唯一人間だけが持っている「能力」です。人間はさらに良くなるために努力をしますが、人間以外の動物はさらに良くしていこうという努力はしません。「100m5秒を切ってやるぞ!」と毎日ダッシュを繰り返し練習している犬を私はまだ見たことがありません。この世のあらゆる動物のなかで人間だけが「もっと良くなりたい」という気持ちを持てるようになった生き物です。人間独特の能力とも言えます。

我々はこの能力と同時に「できるならやりたくない」という動物独特の本能を持っています。自己防衛本能です。動物は生きるための本能を持っています。普段の生活の中でチャレンジするということはしません。昼間の動物園に行けばわかります。ほとんどの動物は動きません。じっとしています。自分の身を守るために最善の方法は「何もしない」です。

これは我々生きるものが持っている動物的な本能です。人間も動物なので例外なく持っている「本能」です。

ですので、何かをやろうとすると、我々人間はやるかやらないかを考え、時に迷います。人間が持っているもっと良くなりたいと思う能力とできるならやりたいくないという本能がぶつかるのです。

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私は「能力」と「本能」という言葉を意識的に使っています。

「能力」は自らの意思で引き出すもの、「本能」は自らの意思に関係なく湧き出るものです。

「もっと良くなりたい」という人間独特の能力は、その人の意思決定で発揮されるものです。つまり自分で決めることが大事です。一方「できるならやりたくない」という動物の本能は何かに直面すると、まるで湧き出るように無意識に出てくるものです。テレビのドキュメンタリー番組のテーマの多くは「頑張って何かを成し遂げた」ではないでしょうか。何もしないで毎日をカウチポテトで過ごしているドキュメンタリー番組はありません。頑張って何かを達成することに人は価値を感じるからです。逆に何もしないことは、だれでも当たり前のように持っている本能通りに生きていますので、そこに人は価値を感じることはありません。

努力して何かをやり遂げた、達成した、手にしたという行動にほとんどの人は感動します。共感します。美しささえ感じます。なぜならそれが価値あるものだということを誰もが知っているからです。

ところが、いざ自分がという時に、尻込みする人が少なくありません。途端に自己防衛本能が働きます。政治の世界でも「日本をもっとよくするぞ〜」というテーマに関してはみんな賛成します。ところが「財政建て直しのために公務員の人件費削減する!」「消費税をアップする!」となると、それがたとえ全体を良くすることであっても、直接には自分の身に不利益が来るので、反対になります。総論賛成・各論反対はこの現象です。

企業においても、「会社をもっと良くしよう!」「効率よい仕事をしましょう!」と社長が旗を振って、みんなそれに賛成するも、「毎日朝礼を行います」「始業の前には10分間掃除することにします」「整理整頓を徹底して行います」というそれぞれのテーマになると、たとえ良いことでも「出来るならやりたくない」という感情が先に出てしまう人もいます。

人間は誰しも持っている動物の本能を捨ててまで生きていけません。同時に「もっと良くなりたい」という人間独特の能力を活用することで、新しい価値を創り続け、それがお客様や回りの人への喜びを与えることにつながっていきます。企業はお客様の喜びを集めることで成り立っている組織です。お客様の喜びを集めるために、一人ひとりがやらねばならないことは、「自分の能力を発揮する」ということです。能力とは、「もっと良くなりたい」という思いを掻き立てることです。

もっと良くなりたいという人間独特の能力を発揮するために必要なことは「リーダーシップ」です。パート3ではリーダーシップをテーマに書いてみます。

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久しぶりのブログ投稿です。最近はフェイスブックばかりなので、少しおろそかになってしまいました。丸々1ヶ月投稿しなかったのは初めてですね。反省。。

いま我が社で意識して取り組んでいることは「リーダーシップ」です。

役職者だけに限らず、全員でリーダーシップを取る組織を作る必要があると思っていました。
少し長くなりますが、あるブログを見つけましたので、そっくりコピペします。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20110927

原文はこちらです。

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欧米(特にアメリカ)の教育機関に入学申請をしたり、外資系企業の面接を受けると常に聞かれるのが、「あなたのリーダーシップ体験について話してください」という質問です。

大学の入試エッセイで書かされ、面接でも、過去にどんな場面でどうリーダーシップを発揮したかと事細かに聞かれます。もちろん入社してからも、リーダーシップは主要な評価項目のひとつです。

一方、日本ではリーダーシップについて問われる機会はごく限定的です。中には「今まで、一度も問われたことがない」という人さえいます。なので、その概念自体あまりよく理解されていません。たとえばちきりんがよく受ける質問のひとつは、「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」というものです。

質問の意図は、「組織を率いるのはごく少数の人のはず。彼らだけがリーダーシップをもてばいいのに、なぜ大学入試や採用面接で全員にリーダーシップを求めるのか?」とか、「 10人のチームで 10人が強いリーダーシップを持っていたら、チームとしては巧く動かないのではないか?」といったところでしょうか。

これらの質問はごく常識的なものだと思います。そして答えはシンプルです。

全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすいんです。だから学校も企業も、欧米では(&外資系企業では)全員にリーダーシップを求めるのです。

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★★★

例で説明しましょう。

高校の文化祭で各クラスが出し物をすることになりました。まずは何をやるのか話し合います。最初は誰も意見を言いません。責任者のAさんは、意見を言ってくれそうな人を指名して、ようやくいくつかアイデアを出してもらいます。
それを黒板に書いていくと、今度は意見がたくさん出始めます。校則問題をとりあげた演劇をやろう、バンドはどうだろう、食べ物屋を出店して売上を寄付するのはどうか、討論会か講演会を主催して有名なゲストを招きたい・・・云々。

これをどうやってひとつの意見にまとめようか、Aさんは考え、それぞれの案のいいところと悪いところをまとめてもう一度討議し、最終的に多数決をとることに決めました。Aさんは翌週の放課後を全部使って資料をまとめ、必要な予算も先生と相談しました。
2回目のクラス討議でAさんは各案について、全員が参加できるか、必要な設備はあるか、他のクラスとかぶらないか、などを説明します。みんなは「ふーん」という感じて聞いています。

中にひとりだけ非常に熱心に「演劇で校則問題を取り上げたい」と主張する生徒がいました。彼は自説を延々と話します。それがあまりに長いので、他の生徒は次第にしらけ始めました。他の案の検討が始まっても、彼はすぐに「校則問題を扱った演劇」に話を戻してしまいます。

そのうち、あからさまにAさんをにらみ「お前、なんとかしろよ」という視線を送ってくる生徒も出始めました。さらに何人かは「用事がある」と言って席を立ちました。
Aさんは、延々と話している生徒をなんとか静かにさせ、他の意見をもっていそうな生徒に発言を求めますが誰も積極的に話そうとしません。するとまた「演劇で校則」の生徒が「ちょっといいですか?」と話し始めてしまいます。

話がいよいよ進まなくなったところで、汗だくのAさんを見ていた先生が介入しました。

先生は他の生徒を次々と指名して、他案について意見を出させてくれました。Aさんは心からほっとします。その後はなんとか議論が進み始め、多数決で「誰かゲストを呼んで講演会をやろう」ということに決まりました。時間の大半が使われた「校則問題を扱った演劇の案」の賛成者は数名だけでした。

これ以降は省略します。後は想像できますよね。誰を呼ぶのかを決めるにも一悶着あるし、依頼の方法も、提示する説明資料もAさんが中心になって考えねばなりません。
人気講師が来てくれることになったらなったで当日の段取りも大変です。列をどう整理するか、受付はどこに設置するのか。マイクを確認して演台を用意して飲み物も必要だ。誰がどの役を担当する?

当日になって「ごめん、オレ、部活の出し物と重なってた。受付、できなくなったわ」とか言い出す人もいます。遅れてきたり、いつの間にか持ち場を離れてしまう人も。講師謝礼用に用意していたお菓子が見あたらないというトラブルも発生し・・・

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さて、ある企業で 10人がチームを組み、新しいプロジェクトを始めるとします。この 10人全員が、高校生の時にAさんの立場を経験しているのと、ひとりしかAさんの立場を経験しておらず、残りの 9人はその他の生徒の立場にあった、というチームでは、どちらがパフォーマンスのいいチームになると思いますか?

10人全員がAさんの経験をしているチームは、「 10人全員がリーダーシップ体験のあるチーム」です。もうひとつは「リーダーシップ体験をもつ一名だけがリーダーとなり、残りの 9名はそういう経験のない人達」というチームです。

後者のチームがどうなるか、想像できますよね。

正しいかもしれないけど、物事を前に進めない発言を繰り返し、本旨に関係のないくだらないことにいつまでもこだわる。
ちょっとでもややこしくなると、あからさまに無関心な態度を示し、

ドタキャンをしたり勝手に役割を離脱したり・・・、するのは、「自分がリーダーとして苦労したことのない人」ばかりです。

また反対に、杓子定規な態度を崩さず、
「完璧でなければ一歩も進みたくない」
「一切の妥協は許したくない」
「明文化されなければ、一切やるべきでないと思う」などと言い出す人もいます。

「組織を動かして成果を出すことがどれほど大変か」、実体験で学んでいない人がチームにいると、恐ろしく非効率なことになるのです。
たかだか 20人ほどの忘年会でさえ同じでしょ。

一回でも忘年会の幹事をやれば、店の選び方について後からどうでもいい意見を言ってみたり、参加可否を問うメールを放置して返事をしなかったり、たいした用もないのに遅れてきたり、「オレは酒が飲めないから安くしろ」と言ってみたりすることが、どれくらい慎むべき行為かすぐに理解できます。

リーダーシップ体験のない人って、すぐにわかりますよね。彼らはまさに上記のような言動をし、それの何が悪いのかさえ理解していません。そういう人を見ると「ああ、一回もリーダーをやったことがないんだな」といつも思います。

人はリーダーシップ体験を積むことにより、「高い成果を出せるチームの構成員」になれるのです。そのために、全員にリーダーシップ体験が必要なんです。

上記の例でAさんは、リーダーとしてはスキル不足だったかもしれません。それでも彼がその経験から得たモノは、彼の「チームメンバーとしてのパフォーマンス」を大きく向上させます。

欧米の教育機関や外資系企業が求めているのは、リーダーシップそのものだけではないのです。

彼らは「組織が高い成果を達成するためには、各メンバーはいかに振る舞うべきか」を、体験的に理解している人を求めています。そのために「全員に豊富なリーダーシップ体験が必要だ」と考えているのです。

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加えて、そういった立場を何度も経験した人は、結果として高いリーダーシップ(スキル)を身につけています。

リーダーシップというのは、本を読んだり勉強して身につくものではなく、日常生活における様々なリーダー体験を通して学ぶものです。というか、そういう体験を通してしか身につきません。

大変な思いをしたAさんですが、次に別のイベントの幹事をするときには、前回よりは一歩、上手くできるようになっています。それを繰り返した回数こそが、その人のリーダーシップのレベルを決めるのです。

だから「豊富なリーダー体験」をもっているかどうかを問えば、チームメンバーとしても、さらにはリーダーとしても、高い成果を挙げられるかどうか、きっちり判断できます。

それがわかっているから、欧米の学校、企業、そして外資系の企業や団体は、リーダーシップ体験について、事細かに質問するというわけです。

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パート2に続きます。

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