» 2019 » 1月のブログ記事

私は会長として一歩引いた形ですが、価値観の共有は社長の邪魔にならない程度でやりたいと思っています。それもやりすぎると私の自己承認欲求を満たす行為にしかならないので、自分を自分で客観的に見ようとしながらセルフコントロールしています。その中で、今回は外部研修の特性について少し語りました。

日創研などの外部研修のメリット・デメリットはそれぞれありますが、内部・外部に関わらず「他人から与えられた研修」は「やらされ感情」がつきまとう人が多いと感じます。外部研修のプラス要因の一つとしては、やってみようとするスタートのきっかけづくりがあります。それが持続性・継続性の原動力にはなるのですが、研修が終わると続かなくなるのは、根底に「やらされ感情」が解消されているわけではないからです。結局、向き合わないといけないのは、自分の劣等感、自信のなさ、勇気の無さなどから来る自分自身のマイナス感情です。

日創研やコミュニケーションエナジーなどの研修の良いところは、そういう誰もが持っている自分自身のマイナス感情に「直面」する機会を与えてくれるところです。我々凡人はこのような直面の機会を何度も何度も繰り返して、ようやくちょっとだけ前進するのではないでしょうか。その直面の機会からすらも逃げる経営者、経営幹部、社員をたくさん見てきましたが、そういう人たちが人よりもうまくいったケースを私はこれまでほとんど見たことがありません。

自分のマイナス感情に直面すること、ましてや他人から指摘されるのは、誰でも嫌ですし、逃げたいところです。何度も繰り返せば慣れるかというと、残念ながらなかなか慣れません。しかしその直面の体験の繰り返しから逃げないことが勇気や自信をつくることに「後で」気が付きます。(その瞬間やその場ではなかなか自己成長が実感できないところが少々ツラいところです)中には直面することを極端に嫌がり、徹底的に逃げて、拒否する人もいますが、そんな人は自分のカラに閉じこもりがちです。そういう生き方を志向しますし、生き方も仕事の仕方にも限界を作ります。より視野が広く、視座が高く、視点が深くはならないということです。そしてそれがその人の人生の「選択」になっているような気がします。

(極端に嫌がる人たちを前よりも否定しないようになりました。嫌がるには幼少時の強い体験などの理由がそれぞれあるからです。人それぞれです。しかし企業の成長発展の原理原則には、可能思考を持った優秀な経営者・経営幹部・社員の三位一体論はゆるぎないところだと思っています。)

このトレーニングが仕事で最も活かせる場面は、「仕事上のあらゆる困難な状況に直面した時に「自分の論理」で逃げない勇気」ではないかと思います。特に利己的で、理不尽な顧客からの要求をどのように処理するか、複数の顧客からの要望を同時に満たさないといけない状況になった時にどのように向き合うか、複数のタスクの同時処理も同じですね。「やればできる」とか「やってみないとわからない」というような可能思考力が強く求められる場面です。日常の仕事上でもそれをトレーニングするケースが多いのですが、これらの外部研修の良さは、眼の前の状況に直面し、行動をとったことが「自分にとってどんな意味だったのか」をより深く考えされられるところではないでしょうか。

「会長になってヒマかろ?」「いつもどおり会社に行っているんでしょ」いろんなことを聞かれます。毎年1月は8日から十日恵比須神社の大祭ですが、今年はインフルエンザにかかってしまい、15年目にして初めてのリタイヤでした。それからいままでの間を少しお話ししてみます。

会社には数回しか行っていません。それも朝7時前に出社し、それぞれの工事現場に行く工事スタッフを見送ってから、8時過ぎの朝礼時にはそっと退社し、朝礼には参加していません。

私は「一つの舟に2人も船頭はいらない」といつも言っています。社長として任せている以上、新社長に任せることを徹底しています。私が会社に行くと、社員のみんなは私の視線、行動に関心を寄せます。指示を仰ごうとします。それでは会長になった意味がありません。極力無関心を装っています。もちろん会社のことはいつも気になっているので、結局会社の中にいようが、外で何をしていようが一緒だなということを再確認できました(笑)

「まだまだ任せておけん」と言って会社に居座っていては、結局部下の成長を妨げているのは、社長の「自己承認欲求の強さ」ではないかと私は感じるのです。会社に行かないで、居場所を求めさまようことをやってみて初めて、自分の中にある自己承認欲求の強さをより客観的に観ることができます。

もちろん、松下幸之助翁の言葉にある「任せて任せず」の実践をしなければなりません。しかしこの「任せる」という方法は人それぞれです。報連相を徹底しようばかりが「任せず」ではないと私は感じます。私は常日頃、「責任を取るのは社長の仕事 責任を果たすのは社員の仕事 責任を果たすとはより良い方向へ努力をし続けること」ですと言い続けています。「任せず」というのは、責任を取ることまで社員にはさせない。責任を取るのは社長の仕事。今はオーナー経営者である会長の仕事だと考えています。

「自分で考え、自分で組み立てること」これが成長の機会としては最良の機会です。これをたくさん作ってあげることで、人は成長していくのだと感じています。私が会社に行けば、行き過ぎた自己承認欲求で、指示命令を出してしまうに違いありません。だったら行かないで、見守ることも重要なのです。その間の時間の費やし方は今回の論点ではありません。いろいろやっていますw(笑)

我が社ではソナーというスマホアプリで様々なコミュニケーションを社内で展開しています。日報はこれで共有化させていますし、連絡や意見交換もこのソナーで行います。私も出社はしていませんが、TPOに合わせて、創業後継者としての価値観を社員に伝えています。

(ちなみに「創業後継者」とは私の造語で、私は後継者で二代目ですが、もはや感覚としては「創業者」の思いに近くなっていると思っています。だから創業後継者なのです。)

伝えたい社員属性に合わせて、例えば取締役グループ、管理職も合わせた「リーダーグループ」など様々なグループを作り、私の価値観をそのグループレベルに合わせて伝えています。これもやりすぎると私の自己承認欲求を満たすツールに成り下がりますので、時折一度止まって振り返るようにしています。その中にある私の投稿をご披露します。

『企業のオーナー経営から、より民主的な経営を目指すために野見山さんが社長になりました。社員から社長になりました。この意味合いをみんながもっと深く感じる必要があります。社員が社長になるとは組織としてどんな意味があるのかということです。

オーナー社長は自分の胸先三寸で意思決定できます。情状酌量も十分使えます。それで出た損失は全て自分がかぶります。他人はかぶりません。だから曖昧な意思決定でも、意識をもってやりましょう経営でも、オーナー社長は許されるのです。言い換えると全てが自己責任になっていますから自分自身を許せるのです。多少傲慢なオーナー経営者が多いのは、自己責任の覚悟の裏返しとも言えます。

しかしながら社員社長は必ずしもそうではありません。オーナー社長が負うほどの責任を社員社長は追いません。だから多くの社員社長は責任の重みを理解できずに、甘い経営体質になってしまい多額の経営損失を出すケースは少なくありません。特に中小零細企業は、オーナー社長でさえ厳しい経営環境なのに、社員社長はなおさらです。現実はそうなのです。野見山さんの経営手腕をいま評価しているのではありません。彼はこれからです。そして一番試練を追い、頑張らないといけない人物です。

だからこのボードに連ねている人たちがもっと、野見山さんの脇を締めていけるように「危機感」を持って、「自立心」や「自律心」を高めていかないといけないのではないでしょうか。

そのために数字を使って自分と組織を客観的に分析し、正すところはエビデンスを持ってしっかり正す。組織の規律がなかなか守れない人たちには厳しい態度で向き合うことも逃げてはいけません。

それまで培った技術や技能は関係ありません。企業がうまくいく秘訣は社員の「より健全な価値観」です。〜(中略)〜

私はいつも言っています。キューハイに「危機感」と「チャレンジ精神」が無くなったら死んだも同然と。リーダーとしてその気概があったから、最後まで生き残れたと思っています。

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