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山笠から学ぶ組織論①

今年も山笠が終わりました。今年の櫛田入りの場面はこちらからご覧ください。http://www.hakatayamakasa.com/kushidairi.php

五番山笠土居流も無事に奉納することができました。ゴールして最後の山小屋の前で、祝いめでたを歌いながら、山笠の台上がりでゆさぶられる山笠にしがみついて歌っていた赤手拭の三興バルブの長崎洋也さんが印象的でした。

多くの観衆とかき手でにぎわった追い山も終わって一時間もすれば、いつもの博多の街に戻ります。まるで山笠などなかったかのように、朝のラッシュが始まります。 いつも不思議な感覚になります。

私も毎年、追い山が終わってからすぐに家に戻り、着替えて普通に出社します。何事もなかったかのようにふるまっているつもりですが、まわりから見るとそうでもないようです。

税理士の中村先生との面談が、追い山が終わったばかりの15日の9時からありました。

「今年の土居流は何番めに早かったですか?」  何気ない先生からの質問にはっとしました。

かき手はただ、一生懸命、自分の力を最大限発揮して、山笠について、かいて、走ってゴールをめざす。ただそれだけです。走っている間に自分の山笠が早いか遅いかなどは考えません。ただ自分の力を出すだけです。ましてや他の山と比較してどうだったのかとか、全く頭の隅にもよぎりません。

周りが見えるのは、しばらくたって、懇親会(直会なおらい)の時です。その時に教えてもらって気づくか、しかし、教えてもらわない限り、自分で尋ねることもないかもしれません。一生懸命山笠をかくことだけでタイムに関心を持つことすら忘れています。テレビで見て気づいています。

しかし、山笠自体を早く走らせることは、目的の内の一つに組み込まれています。そのことはみんな知っているのに、行動している時は関心をよせていない。だからと言って、決して力を抜いてはいない。みんな一生懸命山笠をかいている。

「なるほどなぁ~ そういうことかぁ~」と改めて感じました。

会社も同じですね。社員は目の前の仕事を一生懸命こなしている。ただポジションによっては周りのことは全く見えない。。ポジションによっても、山笠を見ている角度が違うと見方も変わってくる。

山笠の両サイドの一番棒についている縄を持って、山笠がぶれた時に軌道修正する役目の「はなどり」。

かき手とは違い、絶えず縄を操り、出来るだけまっすぐに行くように、方向を修正する役目を持っています。しかし、彼らには全体は見えません。ポジション的にはかき手と同じ高さの目線で山笠を見ています。

台上がりに上がっている人は、上から山笠がどのように動いているかが良く見えます。だからいろんな指示ができます。またエッサ、ホイサとかき手を元気づけます。

下でかついでいる人は指示命令にしたがいながら一生懸命かつぐだけです。だからと言って手を抜くわけではない。 少し息を整えたら、自分の意思で山笠をまたかつごうとする。「自分の意思で」というのがポイント。

「台上がり」。一見華やかな場所です。台の上に上がって山笠のリーダー役のように見える場所です。しかし、台に上がっているからと言って、台上がりが全体をみているかというとそうではない。表の台上がりは見送り側が見えていない。

見送り側の台上がりは表側が見えていない。部門のトップといっしょ。自分の部門だけが見えている。

結局、山笠全体を見ている人は、山笠そのものについて行っていないことに気づきます。山笠とは別のところで、全体を把握しようという視点で山笠を見ている。

「社長は現場至上主義でなければならない。しかし、社長は現場から、しかもできるだけ遠くに離れなければならない」と言った田舞さんの講義に納得できます。

社長の組織を見る視点は社員さんとは違うようです。。。目線を同じにする難しさを感じた山笠の振り返りでした。

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